昭和49年09月21日 朝の御理解
御理解 第53節
「信心すれば目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えてあれもおかげであった、これもおかげであったということが分かるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。」
お互い折角信心をさせて頂くのですから、本当の信者を目指さなければいけません。金光様に参りよりますというだけが本当の信者じゃない。本当の信者とは本当に一切がおかげあれもおかげ、是もおかげと分かる様になると、私はそういう信者におかげを頂きたい。昨日熊本の山田ひろ子さんという方から、お手紙がこの前二人の息子さんが東京におられて、あの三菱重工のあの爆破事件の時にそこに行っておられて二人が食事をしに、地下室に降りられたとたんの爆発だったというあのお礼のお届けに来た方なんです。
もうおかげの泉で大変おかげを頂いておりますが、先日あれは敬老の日でした敬老の日でしたが、あの初めてここへご参拝になりました。奥さんはあちらの教会で前からおかげを頂いて、ご主人という方は何とかいう大変偉いお方で、いまはもう七十幾つ位にな、方でしたが、丁度私が下がらして頂いて、あちらで食事を済まさせて頂いとったら、見えられた。だからお茶でも上げてあそこで、色々お話をされた。
もうほんとに手紙そのことの、初めて合楽にお参りをさせてもろうて、初めて私に会った感動が色々な表現で書き綴って御座いますが、主人も初めてあの金光様の話しを頂いて、それから文男先生がお導きしておる、戎浦さんていう方が、熊本に居った時分の信心友達の方である。ほいで年寄りの日でありましたから、福岡の娘さんの所においでられるので戎浦さん所にも、おいでられた。
そんなかに主人がその日はあの自分たちは長崎の方へ、もとおいでられたんですけれども、もうその日はもう付きどうしに付いておった、と言うて帰ってきたと。その日も丁度ここで汽車に間に合うとか間に合わんとか、言う様な事で言われたけれど、私がお話始めたもんですから、もう今からじゃ間に合わんと言う様な時間に立たれましたけれど、まあそう言う様な事からもでしょう。
もう今日という日は年よりの日に、こんなに付きどうしに付いとった日はなかったというて、まあ信心があるならば万事万端に素晴らしいタイミングの中にお繰り合わせを頂いた、と言うのでございましょうけれども、信心が無いから付きどうしに付いておった。私も、もう信心その信心ちゃもう、ほんとに勿体無いようなおかげを頂いて、その中に一番のおかげは、戎浦さんの所参りましたら、先日からここであれは大祭の前後でしたか、あの沢山古い米があの御座いましたのを精白してから。
ご信者さん達に少しづつ食べて頂こうというので、あのまあ買うて貰ったか私はそれは全てがそう言う事は全然知りませんでした。そんな事があっておる事はそして戎浦さんもそれを、まあ頂いて帰っておってもうそれこそあの信心のある、信心友達やらに合楽の御神米ですからお下がりですから、というてまあ五合一升づつその分け与えられて、もう大変おかげを頂いておるから、あなたにも上げるというて頂いて帰られた。
もうそれを娘ん所にも、又分けさせて貰うしもうほんとに勿体無い、どうしたならば合楽のお下がりのお米を頂こうかというて、喜んでおるとこう言うのです。また熊本にそれから、山口県自分の知った所に、これからずっとおかげの泉を送って頂きたいというて、住所氏名を書いて、そのお金お初穂を同封して、あのお礼の手紙が来ております。私はね信心にはねどうしてもそういう一つの、宗教的感動と言った様なものが、無からなければいけませんね。
私はある方からもうとてもあげな事してから、お米ばあげな古かつもん、あげなもんもろうていったばってん、もろうて行った訳じゃない買うて行った訳でしょうか、けれどもあげなもんは食べられん、ってほうからけてちゅう人が、私にはいつもずけずけと言うた人がありましたよ。もう残念例えそれがならあの虫がついておろうが、カビの匂いがしとろうがです、もうほんとに神様、それこそおよね一粒で無い命が助かるというほどしのですね、合楽のお米のいうならばお下がりを分けて頂いておってから。
そういう頂き方をする人、合楽のどうしたならば合楽の、お下がりのお米を頂かせて頂こうか。自分方だけでは勿体無いから、少しづつ娘ん所にも渡させて頂いてこうこうだったという、そういうね私は信心にはこの純粋な純なものがなからなければいけない。でないとね信仰的感動というものが湧いてて参りませんよ。問題は宗教的感動というのが、真に有難いというのです。信心が無くて有難いとかいうのとはだから違うです。
有難いと宗教的いわゆる感動というものがです、そういいう古米それは例えば、なら私のほうばかりは、私共は日々それを頂いてきてるのですから。もう親先生が召し上がっておるお米なのですから。いうならばいかに親先生を大黒様、大黒様というてうちで拝んだちゃ、そういう人ん所には、大黒様の効果は無いですね。私はですね、あれもおかげであった、これもおかげであった、と目に見えない所のおかげを、おかげと分からせて頂くという事は、そういう宗教的感動からしかキャッチできないと思うです。
信心にいわばその素直さと言った様なのが求められるのはそれなんです。昨日朝竹内先生所から、電話が掛かってきた。あちらに毎日お参りになる、まだ懐妊中にお名前を頂きたいというて来て、まだおなかに入っておる間に、お名前を頂いた人である。みえこ私は忘れておったけれども、みえこさんという名前を頂いておる。そこから矢張り神様は見どうしという事で、初めて信心になった方なんです。この頃からもその子供さんを連れてから御礼参拝をしておりました。
その人がその引付を起こして、あのもう所謂なんちゅうですかね、もう言うならばつめとうなってしもうとった。それであのすぐお届けに来たから、竹内先生の所からそのことのお届けの電話がありました。三、四時間もしてからでしたでしょうか、おかげでまあ息吹き返して、おかげ頂いたと言われた、所がその息吹き替えしたのは有難かったけれども、それからもうなんじゃらかんじゃら分からんけれど、どんどんどんどん熱が出てから、もう今度はそのたぎるような熱だといわれたです。
どうぞお願いして下さい、私はそれを聞きながら、なんか吹き出したいような気がしたんです。神様ってほんとにまあ、死ぬか生きるかちゅうとき、吹き出したいというとじゃないけれども、ほんとに神様が冷とうすることも、熱うすることも、神様の自由自在であるという事ですよ。ほんとに私どもが平熱を保たせて頂いて、こうやってどうも痛うも、痒うもないという時ほど、素晴らしい神様のお働きを頂いておるときはないという事を改めて分からして貰いますね。
さ冷とうなったといやもう、それが一日も続きゃ火葬場行き、さあやあやあいうてお願いしたお願いをしたその時点から、今度はどんどんどんどん熱が上がりだして、たぎるごと熱が出てきた。してみると熱のいわばある事も、矢張りおかげです。そう言う様な場合です、私共がそのおかげを見失います。おかげをおかげと感じきりません。昨日皆さんに、朝のご理解を聴いて頂いて、あの早川茂さんの話を聞いて頂いた。昨日はまだ私がお届け半ばでした。電話もう掛かってきた。
もうとにかくまだご理解中かも知れんばってん、とにかくはようとにかく一時でも早う、お届けせにゃおられないというわけなんです。昨日はその幼稚園の中にある難儀な問題が起きた。その事を神様にお願いさせて貰いよった、色々と頂いたお知らせの中にですね、「みかど」という字を頂いた。御門おんもんと書いてある。あんまり次々と色んなお知らせ頂くから、あの神様私にこうやって、色々と指図を下さったり、教えて下さるのはどなた様でしょうか、と言うてお伺いした。
そしたら「四神」というお声を頂いた。二代金光様が仰っておられる。もうそれからもう畏れ多いやら勿体無いやら、まあとにかく訳が分からん、まあ色んな事を頂く、訳は分からんけれども、早うお届けをしてみらなければというので、昨日はいつもより三十分ばかり早く、電話をかけてきたんです。それはねいわゆる幼稚園の中にそういう難儀な問題がおきたという事は、本当の信心への入口であり、おかげへの入口であるという意味ですよ、というたら声上げて泣き出した。
勿体無いちゅうて今迄は、どうしてこんな難儀な問題、言うなら信心するのにどうしてこんな事がと、言う様な心が起る、起りがちなのですけれども、それが信心への御門であり、入口でありおかげへの入口であると、分からせて頂いた時に、その事はもうそれこそこみ上げてくる程の有難い事になってきた、というのです。それこそあれもおかげ、これもおかげということがね、分かるように段々なってくる。
難儀を難儀と思う、痛い事ただ痛いというだけではおかげにならん。痛いけれども有難いというそういう心が、今日私が一番始めに申しました、ほんとに合楽のお下がりを、頂いて帰ったそのお米がね、古かったの臭かったのと言う様な事では、そういう感度では、いくら大黒様をおがだっちゃおかげにならんです。大黒様が日々こういうお米を召し上がりよっとじゃか勿体無い事じゃなあと、まあせめて思わにゃいかんです。
でなかったら臭いもなからなければ、いわゆるまずい事も無いどうしたならば、合楽のお下がりのお米を頂かせて頂こうかという、信仰的感動がね湧かなければ、湧くような心の状態が信心にはいつも、そのために信心の稽古をしておると言わなければなりません。只合楽のいうならば頂いておるお話の、理屈がいかに分かったって、心の状態に潤いというか、有難いというものが欠けていったら、もうそれは索漠とした、もうほんとに信心の潤いの無い信心になってしまいます。
今朝そんな事色々思わせて頂いておりましたら、最近佐田さんのお宅で、一家中でお茶の稽古をなさっておられるという。それも合楽示現活動参画のためにお話された、そこが丁度そこがたまたまお茶の先生であった。それでいつん日だけは空いとるからと、お一人があちらの今高校に行っとります、典子さんがあの稽古をお稽古をさせて貰っておる。それがあんまり徹底した事でないから、なんなら私が行って上げようと言う事になって、それからまあ折角お茶をなさるなら。
まあこんなにもとあちらにおいでなられた方は、分かるでしょうけれども、あの茶の間のほうが元茶室だったそうです。だから下にその炉が切ってあったり、するようなですからもう、ここん中でお茶をなさるのに一番にいい所だというので、まあ月の内何日か来て下さることになって、まあだからお許し頂いて道具も買わせて頂いた。そしてお茶の先生が、あれも買え、これも買えと言われるから、お許しを頂いて、この頃から水屋までも買わせて頂いた、と言うお届けがあっておった。
ただ熱心さのあまりにです、あの信心の潤いが無いことではいけません。昨日も二度目ののお参りのときに佐田さんが言うておられました。もうとにかく自分の信心の有難いだけで、もう潤いの無いいうならば、示現活動的な事に成って来たから、却ってあっちからも反発を受け、こっちからも反発を受け、と言う事態になっておるとこう言うのです。まあ、一生懸命の時になすことですから、例えそれがおかげ落しのように見えても、それがおかげに必ずつながることでしょうけれども、結局潤いに欠けておる。
私今日その事のお知らせを頂いてです、あのははあ神様が一家を上げて、あのお茶の稽古でもさせなさる事は、そういう信心のまあいうなら、熱烈な一家を上げての御信心ですけども、その中には人間としての、やはり潤いをあの今度のお茶の稽古によって、与えて下さる一つの神様の手立てであったなと言う事を、今朝気付かせて頂いた。皆さんでもどうでも一つね、段々ゆとりがでけておかげを頂いたらです、ただ信心の有難い有難いというだけではなくて。
信心の有難いというものが、潤いというまで豊になってこにゃいけません。そういうゆとりとか豊かさがないとです、いうならばおかげをおかげと気付かなくなります。あれもおかげであったこれもおかげであったと分かるようになると、本当の信者とおっしゃる。本当の信者を目指させて頂くために、まず信心は純粋、純素直さが必要です。でないと成程ここで頂いて行った米は、臭いに違いありませんし、古い古米ですから美味しさもうんと欠けるでしょう。
けれども有難いと言った様な心はね、臭いから臭いというんだ、美味しくないから美味しくない、それではしかもそれはほうからかして、食べんのですからもうお粗末になってしまうに違いありません。そのようにしてです、私共がおかげの頂けるものをです、お粗末にしておるようなことは無かろうか。成程臭い物は臭い。美味しくない物は美味しくない。信心とはそういうなら美味しくない事もまずい事もです、ちった匂いのある様な事もです、それこそお寿司にでも使うような一等米を。
ほかほかに炊いたご飯が、美味しい事だけは間違いないです。だからそう言う事だけが有難いのであって、臭い米は美味しくないもう勿体無い話ですよね。例えばいっちょ断食でもしてみてです、ほんとに例えば穀物臭いとか、昔はとうまいちゅうのがありましたね、ならそのとうまいであろうがなんであろうがです、もうそれこそ勿体無い話、おかげがもうほんとに、食べ物さえありゃよいと言う様な、おかげ時代というか、所も通らせてもらわんとねその有難さがない。
先日の合楽会の時に、末永先生が最後に発表しておって、みんな感動してたんですけれども、僕が丁度まだ子供の時小さい時でしたと、んならそうですね、まっ遅配欠配の時代か、戦時中かだったでしょう。ある時母が町に行くという、だから町に行くと言う事は、もう楽しい事とばっかりと思うとるもんだから、僕も付いて行くちゅうた所が、まあ来るなと言われたんですけども付いて行った。所が町に行った所が母がその米の配給所には入って行った。
そして米屋の主人に相談をしておるのを、横でおって聞いておって、もうもうそれ以来、もうこの親に金ども不自由させちゃならん、という思いが愈々強うなったと言う話をしておりました。ほんとに酸いませんけども、お米一升と麦一升貸して頂けんでしょうか、と言うて母が頼んでおった。所が配給じゃからそげなふうにいかんと、冷たくいわば断わられた時の母の表情を思い出して、それをもう感動しながら話しましたけど。
ほんとに教会と言う所は何十年経ったて、そういう生活しかできないのですよと、合楽なんかは別格です、こげなおかげを頂いておるのは別ですと言う話をしておりました。もう何十年の教会ですけども、もう母たち両親のです、もうとにかく信心を見てきとりますから、もうとにかくもう素晴らしいという尊敬こそしておるでね、あの両親の信心に、いつもその勿体無いものを感じておったけれども。
教会という先生というのは、こんなに難儀をせんならん、貧乏をせんならんだから僕はもう、どんな事があっても金持ちにならにゃいかん。そんためには商売人にもなろう、勤めをしてもう給料の高いとこから、給料の高い所へ変わっていったちゅうんです。それでもうこの親に、金ども不自由させるようなことは、もうせんと神様に誓う思いで、さして頂いて、たまたま当時の椛目にご神縁を頂いてです、新たな目が開けて、こりゃもう一度、親に不幸させてもろうて、そして本当の意味で神様から。
孝行せて頂くんでなからなければ、本当じゃないと言う事が分かったと。これなんかは、所謂おかげでないように見えておった事が、おかげと見えて来た事なんです。そしてこの頃から、帰らせて頂きましたら、客室ができておる倉庫に入らして頂いたら、御酒が一杯お下がりが、入れてあるのを見てから。もうおかげがそのまま、合楽風になっておるのに驚いたと言う話をしてます。私だけのうちだけじゃありません。兄のいま郷の浦の末永先生達もです、学院から帰ってしばらく妙な雰囲気があった。
建郎にお前合楽、合楽ちゅうばってん、と言う様な雰囲気が、確かにあったです。所が又そこん所を改めて、合楽風になってしまったら、もうとにかくまあ壱岐と言うとこに、四軒か五軒か、教会があるでしょうけれども、お金のお下がりと、お酒のお下がりだけは僕ん所が一番と言う位におかげを頂いておる。この頃十日ばっかりも前も、電話が掛かってきてから、私んとこも合楽と同じに奇跡が教会に段々表れてきた。
もうあらゆるキリスト様仏様と拝んで、もうどうしてもおかげの頂けないという人が、参ってきた。そしてお広前に着いた途端に、おかげ頂いたという話やら、小児麻痺でもう、いうなら医者も薬もどうにもでけんというのがです、お参りして段々おかげ頂きだしておると言った様な話を、末永先生宛てに電話が掛かってきて言うたという話もしてました。ですからなんて言うでしょうか、んなら末永先生の場合だって、なら建郎さんの場合だっても、そのほんとにおかげをおかげと気付かない、
合楽にご神縁を頂いておると言う事が、こんなに素晴らしい事だと言う事すら、もう当たり前のようになったんでは、先ほど申しますような、古米を分けてもろうて、合楽のお下がりば頂いておりながら、こげなもんな食べられんと言うて、ほうからかしとると言う様な結果になるのですから、これはもうおかげをほうからかしとると同じ事ででしょうが。熊本のいまの山田さんていう方じゃないですけれども、それをたまたま一升あまりのお米を分けてもろうて。
自分とこだけじゃ勿体無いというてその分けて歩いたいう、まあ頂き方です。そこに成程おかげの泉だけで、いわばたまがるようなおかげを頂いておられる、此の方だけでも、自分からおかげの泉を配って、あのおかげの泉のいうなら、示現活動をなさっておられるとこが、十軒ぐらいあります熊本の方。ですからほんとに私どもがです、信心さして頂くなら宗教的感動がね、薄うなってきたら、もう信心もおかげも薄うなると思わにゃいけません。そして目には見えないけれども。
目に見えない所に有難さが感じれれる、おかげというのはいうならば、氷山の一角どれだけのおかげを頂いているか分からん所をです、いうなら千も万もある所を、少しづつでも、それを五百わからせて貰う様になり、千有難いと分らせて頂く様になる所からです、本当の千のおかげが頂けるようになるのです。そん為にはさまざまなとこに、やっぱりそれこそ末永先生の、ご両親じゃないですけども、何十年経った教会であっても、場合には米屋に麦一升米一升と。
買いに行きなさらんような所もと通らせて頂いておられる、そう言う所がです私共が例えば、これは私の方でいまもうお粥さんどん、炊く事は滅多にもうとにかくお客さんがない事ないですからねこの頃、だからお客さんのなか時だけは、お茶粥というばってんもうこの頃は、年に一辺の、あの冬の寒修行の明けん時ぐらいしかない位です。麦半分お米半分のいうなら、お茶粥さんがですもう私はそういう、今日何もないですからという時ほどが有難いです。いわゆる宗教的感動が湧いてくるです。
私どもがおかげを頂いて通るとこを通らせて頂いておるおかげだと思います。ですからあまりにいうならば、ぜい沢に慣れるただ大黒さんさえ拝みゃ、と言った様なねいうならば浅い軽い、いうならば軽率なね信心から、もちっと深みのある信心にならせて頂かんとです、神様の働きの深みが分からんです。目に見えないおかげがおかげと感じきらんです。愈々お互い本当の信心、本当の信者を目指させて頂いて、おかげを頂かにゃなりませんね。
どうぞ。